日々の砂丘

正直に書く

1年生の漢字

 

  実家に帰ってもすることがないので、朝起きたらぼちぼち家の仕事をして、祖父母の家に行くのが習慣になりつつある。じじばばは基本的に暇をしているので話し相手が欲しいだろうし、こちらも家で一人座っているより良い。うちの家は両親共働きだったため、僕は市内に住むじじばばに育ててもらった。そんな典型的じじばばっ子なので、一緒にいることに何ら抵抗はない。今日は久々に、ちょっとだけ遠くに住んでいる方のじじばばに会いに行く。

 

 

 

 

 

  移動手段は高校の時から乗っていた自転車。ひどく錆びているけれど、田舎道を乗る分には支障はない。自転車も1年ぶり。ちょっと寒くなってきてはいるけれど、乗っていると天気のよさもあって気分が良い。バイクとは違う、ゆったりとしたスピードで風を切る。ちょっと遠い、と書いたじじばばの家までは、15分ぐらいのものだ。

 

 

 

 

 

  着いてすぐ、車がないことに気付いた。出かけているのかと思ったが、じじばばはご在宅。もう今年の初めに車は手放してしまったらしい。80歳を超え、身体の衰えを感じつつあったのだろうか。周囲で高齢者のひき逃げも相次ぐ中、決断したそうだ。あっぱれ。勇気のいる決断だっただろうが、人生のゴールテープを切る直前に、意図せずして犯罪者になるよりはましだ。子が説得したのかなんだか知らないが、結果的には良かったように思う。

 

 

 

 

 

 

  家の設備はどんどん新しくなっていた。手すりが増えて、トイレが綺麗になって、洗面台がまるっきり変っていて。終いには仏壇まで新しくなっているから驚きである。判断力が落ちて、誰かに望まぬお金を使わされているのでは?と疑問に思ったが、本人たちはいたって幸せそうなのでこれもまぁいいか。変な話、これだけ現世に固執があるなら、まだ長生きしてくれそうだなとも思った。

 

 

 

 

 

 

 

  祖父母宅の玄関から見えていた畑には、いつの間にか知らない家が建っていた。古い家が立ち並ぶこの地区に、突如現れた銀色の四角いデザインの家は、どこか間抜けで、見ていると可哀そうになる。もともと畑だったのを知っているだけに、余計に滑稽に思える。

 

 

 

 

 

  祖母のよくわからん話を聞きながら飲む緑茶が美味い。誰誰さんのお孫さんがどこどこに就職した。へー。その「誰誰さん」が誰だかわからないので、突っ込みようもない。向こうは話を聞いてほしいだけなので、相槌とともに聴きに徹する。田舎の噂話はすさまじい。あの1時間で聞いた話、どこかで何かとつながるといいのだけど。

 

 

 

 

 

  しばらくすると、いとこが遊びにやってきた。この辺の小学校に通っているのは知っていたが、よく考えたら登下校時にじじばばの家を通るのだった。そういえば、僕がエジプトにいる間にいとこが一人新しく増えていて、その子にもじじばばの家で初めて会った。今は7か月なのだが、僕の顔を見て一瞬で泣き出した。そんなに人相悪いか俺。結局、抱っこすら無理だった。んなもんこっちから願い下げだ。

 

 

 

 

 

 

  さて、下校途中のいとこ、じじばばの家にて宿題を始めた。あかねこ漢字スキルなる懐かしいものを取り出し、「森の中」というなんとも言えないフレーズをノートに書いていく。結構字が上手。何年生なのか尋ねると、1年生という答えが返ってきた。

 

 

 

 

  へぇ、1年生の時って、漢字書いてたんだっけ。そんな質問を1年生のいとこにしてもどうしようもないのだが、思わず訊いてしまった。1年生って、ひらがなカタカナまでなんじゃないの。漢字を1年生で習う。どうも記憶にない。いや小学生のころの記憶なんてとっくの昔に改ざんされているのだろうけど、後から入った情報を含めても、1年生で漢字を書くという印象は自分の中に全くなかった。

 

 

 

 

 

 

  手元のアイフォンで文部科学省の学習指導要領を見ると、「小学校第1学年」の項目には80字の漢字が並んでいた。木、口、糸、月、金、1から10の漢数字など。なるほど、おそらく今後の学習の足掛かりになるように、漢字の「偏(へん)」にあたる部分を中心に練習していくらしいことが分かった。

 

 

 

 

 

 

  ちなみに、個人的に気になったのは「自分の時代に小学1年生は漢字を学習していたのか」ということだが、これはどうやらしていたらしい。ネットで「1977年以前は40字だったものが倍増した」との記述を発見した。ということは習っているはずだ。記憶の修正は恐ろしい。大学生のくせに、何かの事実を確認するうえで、ネットの情報を鵜呑みにしている自分はもっと恐ろしい。卒論でこんなことはできぬ。

 

 

 

 

 

 

  目の前で「森の中」というフレーズを書くいとこを見ながら、エジプトで、ムハンマドに漢字の仕組みを教えた際、「森」という漢字を使ったことを思い出した。最初に「木」という漢字の形から意味を連想させて、その後に「森」を引っ張ってきて、漢字の象形文字としての性質を解説した。1問目の木の意味推測は外すも、2問目の森は正解した。アルファベット、つまり表音文字が基本であるアラビア語話者のムハンマドには興味深い話であったようで、その後いろいろ質問を受けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

  今、目の前で「森の中」を反復するいとこは、「森」の成り立ちを知っているのだろうか。さすがに先生が教えるかな。「中」も連想しやすいし、漢字の学習指導要領はその点よくできているなぁと感心した。うんちくおじさんにもなりたくないので、「字上手いね~」と褒めるおじさんになった。いとこがどや顔でムハンマドに「森」という漢字の成り立ちを説明するさまを想像して、ちょっと笑ってしまった。小学1年生、侮るなかれ。

 

 

 

かえってきた

 

 

 日本に戻ってきた。乱雑に所感を並べ立てる。

 

 

 

 

 

 

 

 まず、コンビニの安心感がすごい。ファミマの入店音に感動した。店員が礼儀正しい。そういえば、初めてコンビニ入った時に、店員に「ありがとうございます」と言われた時の対応を忘れていた。日本人宿で働いていたのだけどね。テンポとか間を忘れるのよ。

 

 

 

 

 

 

 食はエジプトもインドも良かったが、やっぱり結局日本の味が安心する。豆乳鍋に寿司にうどんにラーメン、今のところ舌が緩みっぱなしだ。腹まで緩まないように、インドでさぼっていた筋トレも再開せねばなあ・・・と思っている。今のところ思っているだけ。思いながら多分、今晩は中津唐揚げを食べる悪い奴になる。自分に甘い。

 

 

 

 

 

 

 

 浦島太郎なので、社会の変化についていけない。いま日本で何が起こっているのですか。新聞を読みながら「ほうほう・・・」と言ってみるも、それぞれの話題の発端が分かってないのでさっぱり入ってこない。完全に置いていかれた2018年。今年ももう終わるよって、いや俺の2018年∼JAPAN~はまだ始まって1週間しか経っていないのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 金銭感覚に関してものすごく心配だったのだけど、一瞬で戻った。めちゃくちゃ不思議。300円でお腹いっぱい食べてたはずなのに、何の躊躇もなく500MLのペットボトルに150円出してコンビニで買う自分にびっくりしながらも、「あ、そうそうこれこれ」とかなってるのが気持ち悪い。もっと守銭奴になると思っていたのだが、この辺りは人間の脳は自動対応するらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 日本に帰って、寿司を食べた翌日に一瞬でお腹を壊した。水が合わないのもあるのだろうけど、「そもそも生魚11か月食べてなかったよね・・・」というのを思い出した。海外の食べ物には火が通っている。日本に帰って生のものを食べて腹を壊した。順当な結果過ぎて何とも言えない。寿司は危険な食べ物(?)

 

 

 

 

 

 

 

 外を歩いていると不思議な感じがする。スピード感があるような、ないような。道路はスピード感が無い、というか感じられない。車も人もみんなルールを守って赤の時は止まるので。

 

 

 歩きに関しては早い。列を作って歩くから人にぶつからないし、口論もしないし。余談だが、目が合わないのが気持ち悪い。誰も知らない人同士でしゃべらないのでもっと気持ち悪い。日本の歩道はとても静かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1年の海外ボケを徐々に大阪で直して、今は地元大分。都市部から田舎に帰ってきて、高齢化率の高さに驚く。外歩いてるんみんなじじばばやんけ(偏見です)。エジプトとインドは若者が支えてる感があった。どうやら現在、日本では海外労働者の受け入れを促進する法案を審議しているらしいが、こりゃ確かに若くてバリバリ働ける人材が必要な気もする。そこに付随して出てくる問題は当然要検討なんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は帰国して初めてガソリンスタンドを目にして、レギュラー1リットル160円の数字に目が飛び出そうになった。バイク乗りたかったけど、大貧民の自分に1リットル160円は払えないので、早いところ何とかしてほしい。ちなみに、そもそも乗るバイクもない。免許はあと1か月で切れるので更新もしないと。だんだん面倒になってくる。もう自転車で良くない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今後に関しては、どうしようか検討中。12月で大阪の倉庫の契約が切れるので、本来は12月から引っ越して大阪で一人暮らしなんだけど、なんせお金が無いし、そもそも就活するの君?という話。就活が無ければ大阪に行く真っ当な理由もないので(大学は2年休学しちゃったし)、この贅沢な時間をどんな形で自己投資しようか考え中。勉強したいことはたくさんある。言語のスキルは使わなければ錆びていくし、ちょっと焦りもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今自分の中にあるキーワードは「30歳」。どこに就職しても30歳で一回仕事を辞めようと思っているし、その後何か自分でやるにしても、大学で勉強しなおすにしても、いっそ就職を投げて今から自分のやりたことを追求するにしても、一つ区切りになりそうな数字なので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、選択する以上責任を取るのは自分で、しっかりした収入がない以上は事実をもってして親を説得し助けを請う必要があることは明確なので、帰省してもだらだらせずに考える頭は止めないようにしたい。(自分でバイトしてもいいんだけど、費用対効果で考えたときにここは助けを借りて後で恩を返す方がテンポも良いか?というのが今の判断。甘えているのは自覚済みなのでこの方策を取りたくないのも事実)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういえば、日本にいなかった11か月分の諸々の税金って、役所に行ったら控除されたり返ってきたりしないもんでしょうか。行く前に申告せえよって話なのは重々承知ですが、覆水盆に返らずって話だし、こぼした水をどうやって拭き取ろうか考えないと。なんせ金がないので、この辺も調べて勉強していかんとね。

 

 

 

 

 

 

 とまぁ現状こんなところです。乱文失礼。

ナイルとガンジスの果てに

 

 

 

 インド滞在も気づけばあと3日となってしまった。マジかい。留学に行った人ってみんなそうなのだろうか、まったく実感がわかない。あと3日で日本。へぇ。どうしても、なんだか他人事になる。まぁしかし、日本の空気を約1年ぶりに吸えると思うと、微妙に感慨深くもある。

 

 

 

 

 

 

 

 ここ1年は砂埃と排気ガスが混ざった空気を吸い続けてきた。湿気は無くて軽いけど、なんだか汚い空気。そういえば、エジプトではそんなことなかったけど、インドでは外から帰って鼻をかむと、鼻の中が黒くなっていることに気付く。どんな空気なんだ。さすが日本の10倍の人口を抱える国なだけはある。人口関係ないか。とりあえず空気が汚い。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、過去最高に気に入って沈没しかけたジャイサルメールを何とか脱出し、ニューデリー、アグラを経て、今は最後の目的地であるバラナシでゆっくりしている。数多のインド人の人生の最終目的地であるこのバラナシを旅の最終目的地にしたのは、我ながらなかなかナイスチョイスではなかろうか。(余談だが、1か月ぶりにまともなホットシャワーに出会って感動した。)

 

 

 

 

 

 

 

 細かいことは順番を前後させて後で書こうと思う。ざっと振り返ると、ジャイサルメールでは砂漠ツアーに参加し、ラクダに乗って砂漠を漂い、星空をぼんやり眺めてきた。前回の記事でも書いたけど、あそこは本当に良い街だった。とにかく天気がいい。ずっと青い空。砂に覆われた街に民芸品が売り出されている様子は、確かにandymoriの言う通り、ドロップキャンディが降っているかのようだった。全旅行者、全バックパッカーに勧めたい。ぜひジャイサルメールに足を運んでくれ。

 

 

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 ニューデリーを経由したどり着いたアグラでは、かの有名なタージマハルを拝んだ。入場料は高いけど、確かにこれは見る価値がある気がする。日の角度によって少しずつ色が変わっていくタージマハルの姿は、ただただ幻想的だった。観光地化されたアグラでは、移動のトゥクトゥクを適正価格で取るのも一苦労だけど、いいドライバー(正しいことを言えばうんうんと分かってくれる素直なドライバー)を引き当てたときの感動もひとしお。こちらも意地で交渉するので移動に時間はかかったけど、なかなか楽しく旅ができた気がする。

 

 

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 そして今は最終目的地バラナシ。ヒンドゥー教の聖地とされ、インド中から多くの巡礼者が訪れるため、電車のチケットを取るのは至難の業だったが、運よくなんとかなった。朝3時に着いて、駅で寝た。何ら危険でもなく、意外に寝れる。地面に新聞をひいて、寝袋に入って、バックパックを枕にして。「俺、旅してる~!!!」って一人でぶち上がっていたけど、やっていることはホームレスと変わらないのであった。(残り4日で金がない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝7時、駅ホームレスを脱して街をトゥクトゥクで駆け抜け、ホテルにでかい荷物をポイ。歩いて10分、目の前にガンジス川が広がる。

 

 

 

 

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 下水もゴミも灰も牛も魚も、そして沐浴する人間も、すべてを受け入れ、飲み込んで流れゆくガンジス川をしばらく眺め、その後近くの小さな火葬場に足を運んだ。岸に運び込まれては燃やされる死体。一見異様な光景も、その場に立ってみると意外なほど冷静に俯瞰することができる。

 

 

 

 

 

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 人が燃やされているのを初めて見た。薪で固定された死体に火が付き、オレンジとともに、「汚い茶色」とでも言おうか、見たことのない色の炎があがる。体の中のガスの影響でこんな色になるのだろうか。おおよそ2色の炎が、薪と死体を静かに包み込む。熱を帯びた灰が風に乗って、自分の身体に降り注ぐ。そんな中、ただただ、静かに眺める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えてみれば不思議な話だ。自分の周りで死んだ人は何人もいるのに、最後にこうやって燃えるところは見たことがなかった。最後の別れを告げ、ボタンで無慈悲に火葬場の扉が閉まって、次に会うときは骨だけになっている。そこに連続性が無くて、おじいちゃんの時も実感がわかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地元の高校に通っていたとき、自転車で通るルートに毎日、亡くなった人の名前が書かれた看板が出ていた。近くに葬祭場があったからなのだが、まぁ他人事だ。何も見えない。人の名前が目の前にあって。あ、そう、死んだの。3秒で忘れて、学校に向かう。そこに死は感じられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、目の前で少しずつ、誰かの死体が燃えていく。布が焼け、外側から少しずつ崩れ落ち、そして灰になり、跡形もなく消える。全く知らないインド人の死。そんな他人事なのに、静かに迫ってくる。

 いや、他人事ではない。「死」は、他人事じゃないんだ。だから静かに、しかし確実に迫ってくる。実感が少しずつ高まる。自分もいつかはこうなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザマ―レクで感じた死とは質の違うリアルな実感。10-Feetの2%が頭の中に流れてきてちょっと驚く。『いつかいつかは皆還る。貧乏も裕福も皆還る』。カーストに関わらず、みんな燃えて、残った灰がガンジス川に流れていく。世の真理を目の当たりにする。こうやって、死んでいく。

 

 

 

 

ザマ―レク雑感 - 日々の砂丘

 

(これが、ザマレクで少し感じた死)

 

 

 

 

 

 

 だから何だというわけではない。すべて分かったつもりもない。自分は死んだこともない。実感がある「気がする」だけかもしれない。きっと数日後には日本に帰って、友達と会っていつもの自分に戻って、ガンジス川で人が燃えていたことなんて忘れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 けど、今はいつもと違う。自分は今、生きている。目の前で、人が燃えていく。死と生が、自分の中で渦巻く。この1年の出来事が、ちょっとずつ、論を以って繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然の結論を得る。『死に方=生き方』。1年通して宗教を見てきて、そして今、より深いレベルで理解する。「断食、礼拝、豚を食べない、酒を飲まない」。個々の事象に目を奪われてきたが、エジプトで見たあれは全部生き方であり、最終的な彼らの、イスラム教徒の死に方だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てを振り返る。この1年、エジプト人、インド人、いろいろな人生の1ページに参加し、その生き方を目の当たりにしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 前述の通り、イスラム教徒にはイスラム教徒の生き方があり、その生き方に応じて死に方、その先の行く末がある。彼らは、(失礼だがほかの人から見れば本質的には意味のない)礼拝をメッカに向かって1日5回繰り返し、年に1度断食をし、豚と酒を断ち、その他諸々宗教的に正しいとされる事柄を守り、禁忌を慎む。それを以って正しい生き方とし、死に備えている。死後は死体を焼かない。最後の審判を受けるべく肉体を残し、土葬を行う。

 

 

 

 

 仏教徒は、八正道と瞑想を通じて無我の境地(つまり、俺の俺の、という欲を無くす)へと至り、他人に尽くす生涯を送る。自己への執着が無いので、死ぬのも怖くない。これが彼らの死に方。

 

 

 

 

 

 

 目の前で焼かれるヒンドゥー教徒。彼らもまた、このガンジスにやってきてこれまでの罪を洗い流し、巨大で荘厳な川に流される終わりを見据え、日々を穏やかに生きている。

 

 

 

 

 

 

 どの宗教もきっと同じ、生き方を以って、死に方と成す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分はどうか。確固たる宗教観を持たない自分。どうやって生き、どうやって死ぬのか。ここで、エジプトで得た経験、そして瞑想で得た生き方が輝く。

 

 

   「自分の信じる道を、懸命に正しく生きること」。

 

 

    今を一生懸命生きた、その先にある自分の死。振り返った時に、「よくやったし、もう死ねるな」こう思えることが、きっと一番の幸せであり、人生の最後を迎えるうえで相応しい姿なのだろう。名言集とかに書いとるやん、みたいな話。しかし、どこまでも真っ当。

 

 

 

 

 

 

 

 10日前に人生を振り返って得た答えは、わりに正しかったのかもしれない。ナイル川ガンジス川の水を混ぜた結果、浮かんできた筋の通った指針。当たり前な結論に、22年かかってたどり着く。今までの何十倍も、重みと説得力のある生き方。時に忘れることもあるかもしれないが、この指針が、今後の自分の人生を導き、最終的にいい死に方をさせてくれる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 インド、あと3日。ナイル川で見た生き方、ガンジス川で見た死に方。それらが今、少しずつ、繋がりつつある。自分はどうやって生き、どうやって死ぬのか。突き付けられた問いは限りなく重い。でも今は、それに対する答えを持っている。お金より、アラビア語力より、もっと価値のある何かを掴んで、もうすぐ、日本に帰る。勿論、フライトを逃さなければ、の話だが。

 

 

 

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ジャイサルメールの話

 

 

 

 ジャイプールから電車で12時間。次の目的地、ジャイサルメールにたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 宣言通り、SNSからはすべてログアウト、アカウントも消した。消すこと自体に意義は全くない。これからの自分の身の振り方に、すべてがかかっていると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 消す直前、いろいろな思いが頭を巡った。アカウントをとりあえず利用停止して、後からまた戻ってくればいいのではないか。写真とかもったいない気もする。人間の弱さだ。

    それでも全部振り切って消してみると、後に残ったのは清々しさと、身の回りに起こっていることに目を向けようという前向きな意識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 意外にも、SNSを消すとメリットが多いことに気付く。まず最初に気付いたこと、それは携帯のバッテリーが減らないことだ(そこか)。本当に長持ちする。自分のiPhoneも実はまだ頑張れたんだなぁ、という。

 

 

 

 

 

 

 

 音楽が純粋に聴ける。よく考えると、今まで「音楽を聴くためだけの時間」ってあんまり作ってこなかった。SNSをやめてしまうと、最初本当に手持無沙汰だ。煙草を止めた瞬間みたいな感じ?そこで改めて普段聞く楽曲に耳を傾けると、「こんな音鳴ってたんだ!」という発見が数多くあり、電車の中での移動が楽しい(ちなみに、Ipod Touchが壊れかけていて恐ろしい)

 

 

 

 

 

 

 

 あと、何かをしようというやる気がみなぎってくる。いかに今まで自分が、気付かぬうちにSNSに体力を奪われていたのかよく分かった。

 

 

 

 

 

 

 イライラしなくなった。これは瞑想したからなのかSNSを止めたからなのかは定かではないけど、インド人の客引きに笑顔で接すことができるようになった。そして分かったけど、あいつらも根は悪いやつではない。世界3大うざい国の名をつけた旅行者に、心の余裕がないだけだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 とまぁSNSから脱出し、このようなコンディションでジャイサルメールにやってきた。電車は4時間遅れて夜中の3時に着くちょっとしんどい展開だったけど、今なら全然受け入れられた。むしろ頭の整理に時間をくれてありがとうぐらいの感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 さてこのジャイサルメールは、インドの西の果て、パキスタンとの国境沿いに位置する田舎町だ。とはいえ昔は、王国として大変栄えていたらしい。今でこそ飛行機がビュンビュン飛ぶ世界だが、昔はそんなものは当然存在しなかった。人々は船で、もっと前は陸路で、国を横断し、交易していた。だからこそ、インドの西の果てに位置するこのジャイサルメールは、東西貿易の中継地点としてその名をはせ、繁栄の時を経験したのであった。

 

 

 

 時代の変わり目はパキスタンの独立。これまでは隣国として貿易していたが、突如国境が成立し、関係の悪化により貿易は止まった。遥か西、エジプトでスエズ運河が開通したこともあり、ジャイサルメールは時代の流れに取り残され、今ではただの片田舎の町になってしまった、という流れがあるらしい。

 

 

 

 

 とはいえ、その当時の繁栄の面影は今でも見て取れる。美しく均整のとれた街、壁に施された緻密な装飾、そしてなにより、街の真ん中にそびえる砦と、頂上から町全体を見下ろす城。ゴールデンシティの名に違わない美しい町には、真夜中(朝?)にもかかわらず、ついて早々魅了された。

 

 

 

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 翌朝。太陽の下にその全貌を現したジャイサルメールの街を歩く。走り抜けるバイクとトゥクトゥクが騒々しいのはどこも同じか。

 

 

 

 

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 砂と煉瓦、岩。一面に広がる茶色の町。しかしその茶色は、降り注ぐ太陽により、確かに金色に輝いているように見える。歩いていると、どうしてもエジプトを思い出さずにはいられない。砂に覆われた建物、ほこりっぽい空気。全部がエジプトの記憶を思い起こさせる。来て早々、ジャイサルメールに親近感を抱く。

 

 

 

 

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 辺境の地であるからか、ラジャスターンの土地柄か、お土産やハンドメイドクラフトにも、民族風のものが多い。これらが民家やお店の壁に掛けられているのを見ると、なんとも華やかで気分も良くなる。思わず入ったお店で、ラクダの髭でできたとかいうスカーフを買ってしまった。スカーフはもう袋の奥底なので写真はないけど、割と気に入ったデザインだった。

 

 

 

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 その時は冷静になれず勢いで購入したが、あとで周りの店を巡って値段を訊くに、だいぶ取られた(ぼったくられた)気がする。いかんいかん。お土産でも航空券でも、購入後は値段をチェックするのはご法度である。さほど落ち込みはしなかったけど、敗北感は認める。

 

 

 

 

 

 

 

 「気に入ったものを、その時納得した値段で」。エジプトでもインドでも同じ、楽しく旅をするときの普遍の心がけである。自分が働いていたころ、お客さんには偉そうに説法していたくせに、実は自分に全然染み込んでいなかったことに気付く。何事も、口だけではだめだ。どの口がものをいうかに、すべてがかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく城内を歩いて、砦の端から街を見下ろす。この街には、砦の中も含め、今でも8万人の生活がある。8万人。淡い記憶をたどるに、出身の大分県中津市とほぼ同じ人口だったんじゃなかろうか(未調べ)。そう考えると、この景色を形作る一つ一つの家に、それぞれの人々の生活が宿っていることに気付く。この景色の隅々に、人々の人生がある。そう思いながら見渡すジャイサルメールの街は本当に美しく、横にいたスペイン人とだらだら喋りながら30分ぐらいこの展望台に滞在してしまった。

 

 

 

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↑これがジャイサルメール

 

 

 

 

 

 

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↑これがカイロ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道、沈む夕日を眺める。今日は一度もリキシャに乗らなかったが、自分の足で歩いてみてよかったと思った。おかげでその辺の牛と何回も目が合って面白かったし、世の中効率だけが全てではない。

 

 

 

 

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 今日から、砂漠のツアーに参加する。砂漠は人生で3回目。前は「エジプトのとインドのと、どっちがいいか比べよう」と思っていたが、今は純粋に、このジャイサルメールの砂漠に行けることが楽しみでならない。天気は最高、雲一つない晴天だ。歴史の教科書に踊る「ラクダ商隊」の文字がふと頭に浮かぶ。色々なことに、思いを馳せてこようと思う。

 

    インド、残り9日。どうやらガンジス川の水は、ナイル川の水と相性が良さそうだ。

10日間の瞑想と、そこで決意したこと

 

 

 

 エジプトで、あるロシア人に会った話。その男は、あわただしく人々が出入りする、とても落ち着いた環境とは思えないドミトリーで、瞑想をしていた。話を聞くと、インドで瞑想の合宿に参加してきたのだとか。とても穏やかな表情だった。ただドミトリーで生活しているだけでイライラしている自分と比べて、何かがこいつは違う。そんなことを思った。瞑想に興味がわいた。その瞑想は、ヴィパッサナー瞑想と呼ばれていた。

 

 

 

 

 

 インドはジャイプール、ピンクシティの異名をとるこの町の山に、瞑想センターの1つがあった。驚いたことに、キャンセル待ちになるほどの人気。キャンセル待ち登録をして、神にすべてをゆだねた。エジプトを出る直前に、参加許可が出た。必ず何かを掴んで来ようと、意気込んで参加した。

 

 

 

 

 

 

 ヴィパッサナー瞑想は、10日間のコースで構成される。興味がある人は調べていただけばいいのでここでの詳説は控えるが、とにかく10日間、ほぼ完全に、外部との接触を断つ。携帯は勿論、おしゃべりも禁止、参加者の顔をお互いに見ることも許されない。何かを書いたり、読んだり、音楽を聴いたりもご法度。瞑想の時間は一日10時間ほど。徹底的に、自己と向き合う。

 

 

 

 

 

 1日目、最初の瞑想は1時間。ひたすらに自身の呼吸を観察することを要求される。はっきり言ってなめていた。何もせず、ただじっと座って目を閉じることがこんなに苦痛でったとは。10秒、20秒、30秒・・・・もう足が痛い。背中が痛い。腰が痛い。たまらず目を開けると、数分しか経っていない。これが1時間・・・?正気か・・・・?

 

 

 

 

 

 自分の呼吸を観察していると、次から次に雑念が浮かんだ。昨日のこと、インドのこと、エジプトのこと、昔のこと、あることないこと。まるでしつけのされていない犬のように、暴れまわった。慌てて呼吸を観察しようと意識を戻しても、またすぐに、雑念がやってくる。これが、自分の心。これが、自分の薄っぺらくてちっぽけな意志力。ちょっとみじめな気分にすらなった。

 

 

 

 

 

 それでも、進歩は見られた。2日、3日と経つにつれて、じっと静かに、20分、25分と座れるようになった。心が静かで、何も考えていない状態というのは、ものすごく心地が良い。相変わらず足はしびれるし腰は痛いし、背中なんかもう「拷問か!!!」ぐらいな感じだったけど、確実に自分の意志力は増えていった。

 

 

 

 

 4日目。ここからついに、本物のヴィパッサナー瞑想が始まる。要求されることは以下の3点。

 

 

 

  • 目を閉じ、動かないこと
  • 身体の感覚を、頭のてっぺんから足の先まで、流しながらこまかく観察すること
  • 何があっても、心の平静を保つこと。痛みでも心地よさでも、一つの感覚として捉え、プラスマイナスの評価を与えることなく、ただただ客観的に観察すること

 

 

 

 これを根本ルールとして、また1時間、1時間半と、静かに座り込む。

 

 

 

 これも冗談ではなかった。いくら頭の先に感覚を集中しようとしても、足のしびれが気になる。背中の痛みが気になる。呼吸に集中していた時には生まれなかった雑念が、途端に復活してくる。痛い、厳しい、帰りたい。負の感情が頭を支配する。合宿何日目なのか、日の長さの感覚すら死んでくる。ヴィパッサナー瞑想が始まって2日目ごろまでは、本当に、もうやめたかった。10時間続くこの地獄が、あと5日?4日?・・・・

 

 

 

 

 

 

  ところがこれも不思議な話。観察をするにつれ、身体の痛みが抜けていく不思議な体験をする。同じ姿勢を取り続けているのに、身体から痛みが抜けていく。感覚というものは不思議なものである。

 

 

 

 

 

 体の感覚が繊細になるにつれて、今までは思い出したこともないような過去の記憶が、ススっと出てくる。そんな馬鹿な、とやる前は思っていたが、本当に出てくる。説明をつけようと思えばつけれる気がする。①これまで知覚していなかった感覚(つまり脳のニューロン)が知覚によって電気信号を受け、②それに反応したほかの普段使っていないニューロンが反応し、記憶を呼び起こす ということなんだろう、と一人で納得した。

 

 

 

 

 

 身体の感覚が繊細になってきたとき、自分が一番に思い出したのは、初めて、お金を盗んだ時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 小学6年ぐらいのときだったろうか。当時、PSPが周りで流行った。初代モンスターハンターで、みんなで遊んでいた。僕が持っていたPSPが、理由は忘れたけど、とにかく壊れて、左下のアナログパッドが反応しなくなった。確か落としたんだ。とにかく、新しいPSPが欲しかった。ディスクが手元にあるのに、ゲームがプレイできないのが、悔しかった。

 

 

 

 

 

 そんな時だった。欲に負けて、生まれて初めて、おじいちゃんの財布から、お金を抜いた。

 

 

 

 

 お金を抜くことを覚えた僕の手は早かった。親から、もう一人のおじいちゃんから。とにかくお金を抜いて、ついに新しいPSPを買った。当然、すぐに親にばれた。そのうえ最初はうそをついたため、それはもうひどく叱られた。

 

 

 

 

 けれど、おじいちゃんはそのことについて何一つ僕に言わなかった。当時は知らないのだろうと思っていたけど、今考えればそんなわけはない。親が言ってなかったとしても、絶対に、気付いていたはずだ(自分の財布から5000円札が消えて気付かない人間なんていないだろうに、道徳はおろか金の価値も知らない浅はかな小学生の自分)

 

 

 

 

 

 そんなおじいちゃんは、去年の10月に亡くなった。その時、僕は葬式の場でも思い出さなかった。自分が昔、おじいちゃんの財布からお金を抜いたことを。

 それがこの瞑想中に、ポン、と頭の中に出てきて、そして気づいた。

 

 

 

 

 

 僕は実は、財布のお金を抜いたという事実を、死んだおじいちゃんに謝っていなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 惨めだった。本当に、心の底から惨めだった。スーッと、頬を涙が流れていったのを感じた。みんなが集まっている瞑想ホールで、静かに泣いた。全部本当のことだ。

 

 

 

 

 

 

 そこからは悲惨だった。悲惨、というか真っ当に瞑想を行った結果なのだが、この惨めさがトリガーになって、「過去に自分が、その場の欲求や自尊心を満たそうとしたがために、自分や周りが不幸になった」記憶が次から次へと押し寄せてきた。

 

 

 

 

 

 

 小学生の時は、ちょっと周りより大人びていた分、とにかく誰に対しても嘘つきだった。中学に入ると、道を外して万引きにはまった。一緒にやっていた友達に置いて行かれたくなかった。中3で担任となる菩薩との出会いを果たして勉強に打ち込んだが、自称進学校に入ってその努力が逆に車輪を回した。あの空間では、勉強のできる人間、目に見えて努力する人間が認められた。自分の勉強に対する努力は、すべて、自分を先生に、友達に、親に認めてほしいという自尊心、自己承認欲求からくるものだった。当時の自分の口遣いや発言で正確に思い出せるものは少ないが、「ちょっと人より勉強ができる(めちゃくちゃ努力したので)」ことをバックに、どれだけ周りの人を傷つけたり、「こいつ痛いな」と思わせるような行動をとったか、考えただけで寒気がした。テストの点を振りかざし、志望校の名前を振りかざし、何人の人をあそこで傷つけただろう。臆病な自尊心と尊大な羞恥心を以って虎に生まれ変わった例の彼を、まったく笑えなかった。

 

 

 

 

 

 

 大学に入って多少落ち着いた。それでも、ドラムを上手くなろうと努力したのはすべて周りに認めてほしかったからで、ドラム自体が好きだったからではない。バンド練習は楽しかったけど、個人練習を楽しいと思ったことは、たぶんほぼない。本質は何も変わっていなかった。ヒッチハイクもそう。あんなこと、周りに誰か「すげぇ」って言ってくれる人がいなかったらやるわけがなかった。就活も、実際行く先はあったが、プライドが認めなかっただけだ。エジプトに出たころから、やっと正直に自分を見つめ始めたが、ブログにあげる文章は100%純粋な事実ではなかった。人が読んだときに面白いと思うようにちょっと盛ったり、自分が本当にその日にやったか記憶の定かではないことを書いたり。エジプトで写真を撮るときすら、自分が良いと思ったものではなく、「どれを使えばSNSで映えるか」だけを考えるようになっていた。いつしか、自分のとる行動は、自らに対する徹底的なブランディングや承認欲求で、自然さを失っていたように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 これらの事実を、瞑想中に体験した。というか、これらの記憶をたどった。その時はずいぶんと落ち込んだが、次第にすっきりしてきた。

 

   結局のところ、小学校の道徳の教科書に書いてあるようなことが大事なのだ。嘘をつかない、人の嫌がることはしない、自分の言葉に責任を持つ、など。その場の欲求でその瞬間に自分を幸せにしても、長い目で見てこうして振り返った時に、正義の鉄槌は必ず自分に向かって振り下ろされる。これは空想の論ではない。自分の人生の体験を通して描き出した、まぎれもない事実だった。教科書を読んだ時とは違う、明らかな説得力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして考えた。「この瞑想が終わり、現実世界に戻った時、自分のこれからの行動をどう変えていけるのか」

 

 

 

 

 

 

 自己啓発本を読んだり、講義を聞くのと一緒で、理想を語るのは簡単だ。毎晩聞かされるブッダやゴエンカの講話は尊い話ばかりで、多くのインスピレーションを受けた。でも、この理想だけを抱えて山から下りて、自分自身のこれからを変えていけるだろうか。きっと、昔の自分に戻ってしまいはしないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 何か具体的な行動を打ち出す必要があった。考えた。どうすれば、この惨めな自分を戒め、もっと飾らずシンプルに、正しく生きることができるだろうか。

 

 

 

 

 

 そして決めた。ツイッターFacebookをやめる。

 

 

 

 

 

 

 最近の自分を顧みたときに、問題の多くはここだった。SNS自体が悪いのではない。ただ、これを使っているときの自分は、自分を飾って、ブランディングして、投稿後の通知をチェックして・・・と忙しい。ひと時も休まらない。落ち着かない。瞑想の状態とは反対の状況に陥っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 よく考えたら、Facebookで他人の記事を見て幸せになった瞬間があるだろうか。ない。はっきり言う、ない。インスピレーションを受けることはある。純粋な憧れや、尊敬の念を抱くこともしばしば。この人はすごい、この人みたいになりたい。でも、それは幸せではない。自分がすごい人になったわけでもない。

 

 

 

 

 他人の幸せのおすそ分けを貰うことがある。誰かが結婚した、犬がかわいい、どうのこうの。表面的には幸せになる。でも、その幸せは時間差で、渇望や嫉妬、不安を生み出していた。いいなぁ、うらやましいなぁ。こいつはこんなにうまくいってる。俺は何やってんだ。やっぱり、心は休まっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 ということは逆に、自分の投稿が人にこんな感情を抱かせる可能性も当然あるということではないか。いや、というか気づいていたけど、見えないフリをしてたんだ。自分を飾ってブランディングして投稿、通知を見てあたふた、見た人に欲望なり嫉妬なり嫌悪なりを呼び起こすなら、だれも幸せにならないのではないか。

 

 

 

 

 

 

 繰り返すが、自分が悪い。本質は、SNSに正直に、自然に向き合えない自分に問題があることだ。SNS自体が、正しく使えば便利であることは明らか。上手に使って折り合いをつけている人にとっては、人間関係を作る大切な道具であり、情報収集のかなめにしている人も多いだろう。でも、今の僕にはSNSは使いこなせなかった。「Facebookの花崎陸」「Twitterの花崎陸」。現実世界でまっすぐ人に向き合うのも難しいのに、このインターネットの世界で、さらに自分に負担をかけてしまっていた。逆にSNSに支配されるような自分の人生なら、もう要らない。7年分の写真をため込んだFacebookも、必要ない。

 

 

 

 

 

 

 ブッダに言わせれば「中道を行け」。右でも左でもない、極端に振れない真ん中で、調和を保てということだ。この言葉に当てはめれば、ちょっと極端な対処にも思える。飾らない自分を発信すればいい、それだけなのだ。しかし、自分の思う以上に、自分の利己心、自尊心、承認欲求はコントロールが難しい。結果として人生のバランスを取って中道を行くことを考えれば、行き過ぎた決意でもない気がする。選択には、割かし自信がある。

 

 

 

 

 

 

 ブログは続ける。何それ矛盾じゃん、という感じだが、仮にも自分の文を楽しんでくれている人がいるとするなら、自分が書くのも楽しいし、ひっそり続ければいい。ただ、そこでは絶対に自分を飾らない。そして多数の人にはシェアしない。見たい人だけが、見ればいい。いないなら、それでいい。

 

 

 

 

 

 

 目の前の人には、正直に、誠実に。小学生の道徳の教科書に書いてあるような、シンプルで当たり前なことを大事にして接する。一見つまらないかもしれないが、これが自分の人生の経験測を顧みて結論付けた「最終的には自分が幸せになる正しい生き方」なのだ。他人には押し付けず、ただし自分を幸せにすべく、僕はこのチョイスを取る。

 

 勿論「馬鹿をしない」「酒を飲まない」とか、そういうことではない。今自分にとって親友でいてくれる数少ない人に対する対応を、ほかの人にもするように心がける、それだけだ。あとで振り返った時に、幸せだったと心から思える人生を作るべく、今この瞬間を誠実に、一生懸命生きる。

 

 

 

 ツイッターはさして未練はないが、Facebookに関しては7年使ったし、ここでしかつながっていない人間も数多い。エジプトであった旅人も沢山いる。決してその人たちとの縁を切る、と言っているわけではない。連絡を取り続けたい人、純粋に近況が気になる人も多い。ただ今回のことに関しては、人生を自然に、シンプルにして、幸せに生きることがより正しいと判断した。

 

 

 これも経験則で知っているが、人生は会うべきところでその人に会うように、うまいようにできている。今、形上Facebookで縁を切った人でも、自分にとって大事な、意味のある人なら、きっとどこかで巡りあうと思う。その時に、正直な自分でその人に会えればそれでいい。会えなければ、それもまた人生だ。いつか死ぬんだし。

 

 

 

 

 

 

 この投稿ののち、ジャイサルメールに移動する予定だ。そこで、すべてを終わらせようと思う。ブログだけ、タイトルをエジプト住み込み記から何かに変えて、ひっそりと続けよう。見たい人は見ていただければもちろんうれしい。書くのは楽しいから、一人でも静かに日常を切り取って書き続ける。

 

 

 

 

 

 最後に、瞑想中に思い出したのは不幸なことだけではないことも書き足しておく。普段意識しない、これまで自分が受けた恩、助けてくれた人の顔も、数多く浮かんできた。そういう人々に少しずつ、実際に会えるかもわからないけど、物質的であれ精神的であれ感謝し、恩を返していきたいと思う。綺麗ごとにならないように、確実に徳を積んでいきたい。それが自分の幸せに繋がることも、経験則からは明白だ。

 

 

 

 

 気付けば6000字も書いてしまった。帰って自分を待つ卒論も、その気になれば案外書けるのかもしれない。インド残り11日。これまでの心の闇が徐々に薄れ、同時に将来の自分の成すべきことが、少しずつ、見えてくるのを感じている。

 

出国に寄せて

 

 

 

   エジプトから出国した。

 

 

 

 

 

 

 

 実感はないが、赤いパスポートを開くと確かに、必要量以上の黒インクで出国スタンプが押され、おかげで隣のページにまでインクがにじんでいる。4回も更新された怪しげな観光ビザだったが、ほかの客の対応で忙しい出国管理ゲートの職員の目には留まらなかったらしく、自分はゲートを一瞬で通過してしまった。まばゆく光る免税店を通り過ぎ、雑多な人でごった返すボーディングゲートの手前で、静かにその時を待つ。フライトはエミレーツ。ガラス張りの建物の外にどっしりと構えるボーイングのトリプルセブンが頼もしい。

 

 

 

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 ここはどこなんだろう。高校の時の現代文の評論だったかなんだか忘れたけど、「国際線の出国ゲートを通ったここには、税もかけられない、存在が曖昧になる謎の空白がある」みたいな文章を読んだ記憶がある。その時は海外なんて行ったことなかったので、「このおっさんは何を言うとるんや、、、」と思いながら読んでいたけど、今なら何となくわかる気がする。ここはエジプトなのか、はたまた別のどこかなのか。エジプトの地図の中にある、エジプトではない不思議な空間で、この10か月に思いをはせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決して、楽な海外渡航ではなかったように思う。言語の問題は勿論あったけど、そんなことより文化が違う、環境が違う。初っ端、日本から送った荷物は空港で足止めされ、検閲云々の理由で3度空港に通い、6000円払った。買い物するたびにうその値段を言われた。道を歩くとヤジを飛ばされ、不幸なことに意味が分かってしまうため、ケンカしないことの方が珍しかった。一緒に働くエジプト人たちは、日本人の自分には想像できない価値観で決断を下すため、しばしば責任感を疑ったし、腹が立った。金はないから、周りの留学生が中華料理屋に行く話を聞きながら、ひたすら毎日現地人と一緒のものを食べた(全然幸せだったけど)。どれだけ精神的に疲れても自分の部屋はないから、10か月ドミトリーで寝続けた。多少何とかなると思った英語は最初、仕事ではまったく歯が立たなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  それでも、何とかするしかなかった。就活を途中で放り出し(報道記者になりたかった)、予定にはなかった延長、しかもこのタイミングで海外渡航を選んだ。自分の選択には自分で責任を取らなければいけない。渡航後は何かにつけて、何度も自身の価値観や考え方を見つめなおし、この先の身の振り方について考えた。だらけてしまう日は、どうやったら自分が自分自身を思うようにコントロールできるか、いろいろと実験をくりかえした。興味深いお客さんに出会ったときは、そこに至るまでの人生の足跡や、これからについてたくさん話を聞いた。偶然ではあったが、ラマダーン明けにイスラム教徒の集団礼拝にも参加し、日々にあふれる習慣から宗教を見つめた。金がないなりに仕事も頑張った。結果手元に20万貯めたし(なかなか苦労した)、PCのタイピングはめちゃくちゃスピードアップした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、この10か月全部の経験が、自分に刻まれている。頭では忘れていても、体に「宿って」いる。口だけではなくて、本気だ。机について勉強はしなかったが(机はなかった)、見て聞いて話して食べて、そして自分の足でダウンタウンを毎日歩いた。日本にいたらスマホに吸い込まれていたであろう時間で、徹底的に経験を叩き込んだ。今の自分の身体は、全部エジプトの水と食べ物でできている。これに関しては、一種の誇りですらある。

 

 

 

 

 

 

 

 やりたいことは変わったけど、コアは変わらなかった。自身と周囲を相対化する中で、いろんな価値観を取り入れ、アップデートを図ったが、結局自分は自分のままだ。むしろ、前に比べ確信をもって、「俺は俺だ」と言い切れるようになった気がする。過酷な環境にあってもブレない自分という存在は強い。

 頑固になったわけではなく、柔軟にもなった。ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなったし(多分)、環境に適応する力も高まった。多分だけど、人にも優しくなった(エジプト人は一般的に約束を守らないので)。相変わらず人見知りは人見知りだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 心に刻まれた大事な単発の価値観はいくつもある。「大学を卒業して40年働くという形でなくても人生は進むこと(4年卒業の王道ルートを外れて分かった)」「結局自分のやりたいようにやることが一番幸せなこと(その代わり責任は取る)」「他人の嫌なところを見つけたら自分を見直すこと(ストレスを減らす方法として有効)」「言語はその気になれば留学しなくてもできるようになること(留学して気付いた皮肉。ただ、これは日本に帰って別の言語を勉強する価値があることを意味する)」「知識と言語化は大事であること(今本当にいろんなことを勉強したい)」あたりを、身をもって体感できたことは非常に価値があったように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今からはインドに向かう。日本まで直通のフライトをとるより経由した方が安いし、そこで買える経験も含めたら黒字もいいところだろう。とんでもない荒治療を選んだ22歳の1年だったが、後悔はない。むしろ幸せだ。海外保険も含め全部自分で責任は取るし、取れない範囲のことはやらない。これが自分の得た自由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボーディングゲートがあと20分で開く。向かう先インドで、また自分の世界をぐわんぐわんと揺らすいろいろに巻き込まれるに違いない。そうやって身体に流れるナイルの水に、ゆっくりとガンジス川の水を注ぐ。起こった化学反応を、また一つずつ身体に刻み込み、言葉にする。帰国、そして23歳まで約1か月。きっとまだ、伸びしろはある。 

 

 

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覚えていることいないこと

 

 

 

 体調を崩した。

 

 

 

 

 

 

 エジプト滞在も残り1週間、心残りのなきよう、南部の遺跡巡りをしてきたのだが、帰ってきた途端これだ。元々、身体はそんなに強くない。ちょっとルーティーンを外したり、体内時計が狂ったりするとすぐに熱が出る。今回はお腹もこわして余計に大変だった。今日は幾分かマシ。昨日は本当につらかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡った遺跡のうち、一つについて長く文章を書いたのだけど、後で読み返すと全然大したことないというか、「疲れてたんだな」という感じだったので、あげるのはやめた。王の墓の雰囲気に頭がやられたのか、なんか恐ろしいことばっかり書いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 言葉を失う、という感覚に久しぶりに陥った。失うというか、語彙が追い付かないのだ。360度を、当時の王に向けて描かれた壁画に囲まれる。刻まれたヒエログリフにも、一つ一つ、意味がある。ここに一体、何人の人間の念が詰まっているのか。想像しても、言葉を紡ぎだそうとしても、すべて追い付かない。ただ静かに、数千年前の偉業を見つめ、測ることのできないその偉大さに、思いをはせることしかできない。

 

 

 

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    抜粋。他にも長々と書いていたけれど、ここが全てな気がする。

 

 

 

 

    もうこんな感覚は昨日の熱と腹痛で記憶の彼方にぶっ飛んでいったけど、どうやら現地で自分はこんなことを思っていたらしい。前に、知識は大事だ云々書いたけれど、そんなものをはるかにしのぐ何かが、王家の谷には確かにあった。

 

 

 

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 人の記憶は儚い。見た瞬間の情報は、時間の経過とともにある時には改ざんされ、ある時には美化され、終いには忘却の彼方。世の中には起こった事を隅から隅まで記憶している人もいるらしいが、自分はそういう類の人間ではないので、王の墓に入った時の感覚ももう薄れてきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エジプトでブログを書いてよかったなと心から思う。ここで得た新しい価値観、感じた悔しさ、そして実際に潜り抜けた自分の経験が、当時の自分の言葉で書かれているのを読んでいくと、この1年弱で自分自身が相当成長しているのを実感する。振り返っても、ポイントポイントで、お前たいそうなこと考えてるやん、と。勿論、書いた時ほど鮮明な記憶は無いんだけど。行動に移せてるかも微妙。書いた自分の言葉には責任を持ってくれ、自分。

 

 

 

 

 

 

 

 あと5日で、エジプト滞在の総括をする。お土産を買う(まだゼロ)。積みあがった仕事をさばいて、後輩に引き継ぐ、、、体調を崩してる暇なんてないだろ、と崩した後に気付く。ご苦労様、自分の身体。

 

 

 

 

 

 

 

 帰ってからのことは、実はあまり考えていない。まずは目の前の残り5日間、そしてインドの1か月を一生懸命生きる。きっと、インドで残る記憶は体調不良ばっかりなんだろうけど、記録は意識すれば残していける。

 

    いつか振り返った時に、体調不良地獄の中に、光る何かがあればいいなと思う(もしかして、体調不良地獄そのものが光る何かになる?)。そのために、繰り返しになるけど一生懸命生きる。そんな感じでエジプトあと5日。

 

 

 

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エド


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カルナック


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ルクソール


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コムオンボ

 


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アブシンベル


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イシス