日々の砂丘

正直に書く

連投① 8か月が過ぎました

 

 

みなさまこんにちは。

 

 

 

お盆シーズンも次第に終わりを告げつつあるベニスホテルから、花崎です。

 

 

 

80連勤でそろそろ心が病みつつある今日この頃です。(疲れた)

 

 

 

客層も大学生が増えてきて、夏休みの到来を実感しております。(キラキラ大学生が苦手なので接客しててつらい)

 

 

 

 

 

※今回は、お盆期間に書きだめてた3本を連投します。

①は全く面白くない話、

②③も面白くはないがエジプトの経験を切り取った話です。

 

 

 

 

 

 

さて、気付けば僕のエジプト滞在もあと1か月半。そろそろ、この留学(海外渡航?)にて学んだことをまとめる段階に入ってきています。

 

 

 

 

 

 

学んだことは数知れず。そりゃそうですね。日本とは全然違う国で8か月も働きながら現地人さながらの生活をしてるんですから、毎日が勉強みたいなもんです。自分ではあまり実感はありませんが、たぶん色々変わりました。たぶん。

 

 

 

 

一言で表すなら「人生を楽しむためのキー」みたいなのをつかんだ感じです。

生き方だったり、物事に対するスタンスだったり、思考の方法だったり。これらは帰る前に時間をかけてすべて言語化して忘れないようにまとめます。(言葉にするとチープになるとか言うけど、僕は言語化はとても大事な作業だと思っているので)

 

 

 

 

 

 

その「人生を楽しむためのキー」の一つとして最近非常に強く実感していること

 

 

 

 

 

 

知識は大事。好奇心はもっと大事。

 

 

 

 

 

 

 

これです。

 

 

 

 

 

 

別に自己啓発的なことを言いたいわけではありません。ただ、こっちで生活してて、これほんまに大事なことやな、と日々思ってます。

 

 

 

 

 

 

①知識に関し

 

初めてピラミッドを見たのは2年半前。1週間だけエジプトに行った時の事。あの時は「でかっっっっ!!!!」と思った、それだけでした。

 

 

 

 

 

 

なんかまぁ凄いのはわかる。けどその「凄さ」が何なのかは、さっぱりわからない。

 

 

高校の時の世界史の記憶は彼方に葬り去られ(先生ごめんなさい)、目の前にある事象の凄さが自分の知識の定規で測りきれない。結局「はぁ、でかかったな」「それ以上に周りの客引きがうざかったな」そのぐらいで帰ってきちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから2年、2度目にピラミッドを見た時、改めて感動しました。

 

 

 

 

 

 

 

なぜか。多分答えはこれです↓

 

 

 

 

 

 

(仮説)ピラミッドに関する知識をホテルで詰め込みまくったから。

 

 

 

 

 

 

 

そう。2回目の僕は、ピラミッドに230万個の石が使われていること、その石1個の重さが約2トン(≒乗用車1台)あること、一番重い土台の石は15トン(≒トラック)の重さがあること、それが機械も何もない今から4500年前に作られたこと、石はその辺にあるやつじゃなく、ずっと遠くから持ってきたものであること、上から見ると実は8角形であること(!?)、方角も測れること、地震が来ても壊れない工夫が施されていること、ピラミッドの角度は手から砂を落として自然にできる砂山の角度と同じことなどをガイドから聞き、詳しく知っていました。

 

 

 

 

 

 

「ピラミッドの何がすごいのか」を測れるようになって、そのすごさを「自分なりに」解釈することに成功したからだと思うのです。

 

そして知っているからこそ、その先の想像が広がる。「この15トンの土台の石をどうやって運んだんだろう」「そもそも石をどうやって切り出したんだろう」「どうやって高いところに積み上げたんだろう」と。ピラミッドにはそんな力があるんです。

 

 

 

 

 

 

 

お客さんがピラミッドから帰ってきて「あーこれがピラミッドね、って感じだった。15分見て帰ってきた。客引きがうざかっただけやったわ」みたいな話をしてるのを聞きながら、「そんなことないと思うけどなぁ」と。

 

 

 

 

 

 

人の感性を正面から否定するつもりはありませんが、それはちょっとあなたが勉強不足なのもあるんじゃないの、と。

 

知識ってのは大事やなぁと思い始めるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、知識を入れて自分の定規を作ることは、落とし穴でもあります。「その定規がすべてだ」って思っちゃうと、そこで終わってしまう。美術とか音楽とか。あんなのは1種類の定規で測って説明が効くもんじゃない。大事なことは、いろんな定規を持ち合わせて、必要に応じて取り換えることだと思います。

 

芸術を何かで測ること自体野暮だろ、って考えの人もいるだろうけど、僕は多少の知識はあってもいいんじゃないの、って思っています(ただし、知識なしで楽しんでいる人を否定はしない)。大体みんな好きなアーティストには詳しいもんでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に何か事象があるとき。なんでもいい。その事象の背景に何があるのかを知っているか知らないかで、人生の楽しみってのは大いに変わると思うのです。知識や教養は人生を楽しむ余力ってのはよく言ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

②好奇心はもっと大事。

 

 

最近、エジプトの生活が自分の中で当たり前になってるなぁ、というのも強く実感します。

 

 

 

 

 

 

来たときは地下鉄やバスに乗るのにも心臓バクバク。アラビア語専攻で居ながらめちゃくちゃ恥ずかしい話ですが、初めてフルーツ買うときなんか、わざわざセリフをメモして行ったし笑

 

 

 

 

 

 

今となっては、生活に必要なことはたいていそつなくこなせるようになりました。

 

 

 

 

 

 

ただ、それを機にエジプトの生活での「探求」が終わってる自分がおるなぁと。

これって日本でマンネリ生活に飽き飽きしてた自分と変わらんじゃんと。

 

 

 

 

 

 

身の回りに知らないことなんて腐るほどあるんですよね。

それに対して「なんでだろう」って不思議に思える感覚を大事にしないと、考えることがストップしてしまう。なんだかもったいない気がします。まぁ興味がないことには興味が無いでいいんでしょうが、何か自分の興味がある、知って楽しいと思うことを見つけるのはとても大事なことだなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

「勉強は、したくなった時にするものです。人生は、一生勉強です。世の中、すべてを知ったかのような顔をしている大人がいますが、あんなのは嘘っぱちです。勉強をやめてしまったら、人間は終わりです。好奇心のない人間は、猿以下です」

 

 

 

 

(最近ちらっと見たドラマ女王の教室から、阿久津先生の言葉)

 

 

 

 

 

いや、その通りよね。。。。

 

 

 

 

 

 

当たり前ってのは大変ありがたいことで、非日常がやってきた際に強く強く感謝するものですが、その当たり前は同時に、思考停止をもたらします。エジプトでの生活が当たり前になってきて、80連勤中の僕がまさにそう。もっと勉強できることがある、まだ知らないことがあるのにだらっとしてる自分に再喝、残り1か月貪欲に過ごしていかないといけませんね。

 

 

 

 

 

当たり前に感謝しながら、謙虚な姿勢で日々勉強。めちゃくちゃ難しいし、こんなこと普段から履行してる人は、悟りを開いている人でしょう。僕はそういうのさっぱりぱりなので、こういう節目で確認を取りながら、楽しく生きるヒントをもっと見つけて日本に帰ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

今更地元の福沢諭吉先生の学問ノススメを振り返るような妙な記事を書いてしまいましたが、自戒なのでご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

80連勤の中にも何か新しい学びがあるといいなぁ。

 

 

 

 

あと1か月でエジプトを出るので、それまでに主要な観光地は攻めてしっかりルポなりエッセイなり書こうと思います。無駄な1か月にはせんぞ。

 

 

 

 

 

では、話題を変えて②に続く

 

 

 

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