エジプト住み込み記

エジプトに やってきた

チップの話。

 

 エジプトにおけるチップ事情は非常に厄介だ。

 

 

 

 

 道を歩けば、砂で汚れた薄汚い老人が手を伸ばしてくる

 

 

 

 

    建物の入り口では、民族衣装を着たおじさんが80%の確率で絡んでくる。

 

 

 

 ホテルについてスタッフが荷物を運んでくれたと思えば、満面の笑みでドアの前に立っている。

 

 

 

 ツアーが終わったのに、ドライバーやガイドが付いてくる。

 

 

 

 みんな、チップが欲しい。

 

 

 

 

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 エジプトにおけるチップの、もともとあった土台は、富めるものが貧しきものに、善意を以って分け与える「バクシーシ」。イスラム教の中で善とされる5つの行いにも入る喜捨(ザカート)は、それなりに徳の高い行為である。

 

 

 

 

 

 現に、例えば地下鉄に乗っていると、何やら泣き叫びながら歩くおばさん(耳を澄ますと、どうやら自分の子供の年齢を言ったり、職がないことを言ったりしている気がする)に、すっと小銭や札を渡すエジプト人は驚くほど多い。日本なら即座に変人扱いになるであろう彼らを、エジプト人、いやイスラム教徒は見過ごさない。

 

 

 

 

 

 

 本来は宗教的な行為である喜捨(ザカート。また、これにて渡されるお金を俗にバクシーシと呼ぶ)を理由に、観光客から大量のお金を巻き上げる悪質な客引きが大量にいることは言うまでもなく、エジプト・モロッコが世界3大うざい国なるものにランクインする一因になっているらしい。(ちなみに、僕はエジプトがうざい国だとは別に思わない)

 

 

 

 

 

 

 そしてこのバクシーシに混ざるのがチップ。チップは、欧米的な(?要確認?)発想で、いわゆる心づけ。サービスを受けた客が、個人的に渡すお金。国によっては、このチップがもらえることを前提で給料を組んでいるため、生活の生命線になりうるお金だ。

 

 

 

 

 

 

 この2つが混ざったことにより、エジプトにおけるチップ事情は他国のそれより厄介なことになる場合が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 エジプト人のサービス業に従事する人間の大半は、何かのサービスをした段階でチップを要求してくることが多い。そもそもチップというのは「要求」するものではないのだが、ここで彼の持ち出す理論はバクシーシのそれである。「宗教的にもらって当然と言わんばかりのスタンス」と「お前たち金持ちなんだからこのぐらい払えや」という気持ちがにじむ超高圧的な態度。なんというすり替え。。。

 

 

 

 理論に押し負け、大体の日本人は必要とされる以上のチップ(これをぼったくりと呼ぶ。チップに300ドルなど基本的にはあり得ない)を払い、ついでにエジプトに「3大うざい国」の烙印を押し、(自分の勉強不足でぼったくられたくせに)、日本に帰国するのである。

 

    チップとバクシーシは違うものなので分けてほしい。バクシーシは本来もっと純潔なものなのだ。

 

 

 

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 さて、ここで僕のチップに対する意見を言うと、チップというシステム自体は非常に合理的なものである、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 理由は単純で、「自分が頑張ってる、何か成果を出している」のをその場で実感できることは、承認欲求や自尊心を満たすうえで効果的だし、それが結果として仕事への情熱を生み出すきっかけになりうると思うからだ。

 

 

 

 

 

 

 たとえば、完全歩合制の仕事である場合、やればやるだけ金になる。自分の努力が、目に見えて成果や報酬に反映されれば、やる気になる。頑張れる。ダメだった時も自分で責任が取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、日本におけるほとんどの接客業は、会社から固定給、固定時給を貰うパターンが大半。残業代はともかく、日ごろの仕事において、「どれだけ忙しく、どれだけ一生懸命、どれだけ休憩時間を削って、どれだけお客様に対し親切にして」働いても、固定給18万、時給1000円の現実は絶対に変わらない。上の人間に搾取され、税を課せられた給料は、自分の働いたという実感以上に少なく感じられる場合が多いのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな時に、対応したお客さんからすっと「対応ありがとう」とお金を貰えたら。単純に仕事に対する頑張りも増すだろうし、「会社の中で1つの歯車となってこき使われる自分」という意識から、「お客さんを自分の手で満足させられる」という個人の意識につながるかもしれない。何より「自分が頑張ったから、もらえたお金」という実感が、給料のそれとは桁違いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 サービス業から人手が少なくなっている傾向は、数年前から日本でも顕著だが、仮に日本にチップサービスを導入したらどうか。コンピュータ(もはや古い?)やロボットが仕事を代わりにやっていく中で、人間が働くことにやりがいを見出すきっかけとして、チップが一役買うのではないか。悪い話でもないと思うのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 日本でチップが根付かない理由はいくつかある気がするが、一番の理由は気持ちの問題というか、サービスに対する考え方だろう。何か人がしてくれた親切に対して金を払う、というのが汚いやり方のように思える日本において(賄賂とかのせいか?)、チップシステムは適用しづらいかもしれない。金で人の親切を買うか、と。

 

 

 

 あとは「もうサービスに対して金払ってるやん」という考え。これはどうなんだろう。前はそう思ってたけど、エジプトで生活し始めて考えが変わった。例えばホテルに対しては客は部屋代しか払ってない。よく考えれば、部屋まで荷物を運んでくれることに対しては、対価を払うのが確かに真っ当だ。お金は交換なんだから。無形であれサービスを受けたなら払ってなんぼだろう、という。それを払わずお客様に対する無償のサービスとするのが日本の美徳なんだけど。

 

 

 

 

 あとは、もし導入したら、もうただですら経済的に厳しいのにお金なんかこれ以上払ってられるか!という精神的な抵抗も、生まれそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 物理的な理由として、「札がない」というのが一個あるのではないか。ドルでもポンドでも、小さな単位のお金に札があると、チップとして渡しやすい。重くないし、クシャっとして渡せるし。日本で最小のお札は1000円で、これはさっと渡す感覚の額ではない。ただ、100円玉2,3枚渡すのもなんだか違う。神社の賽銭か募金箱か、って感じ(間違いなく関係ないけど)。いや単純に重いしジャラジャラなるし、鬱陶しいじゃない。

 

 

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 ただ、じゃあ日本にチップのシステムを導入するとなるとそれも違う。そもそもチップはサービスを受けた人間からの、お礼なり心づけなわけであり、国が主導したり、上の人間が「こういうシステムを作ったので次回から渡してください」というやつではない。あくまでこちらの感謝なり、「頑張ってくれ」という気持ちを伝えるものであるべきだ。やはり、チップ導入自体、現実的ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それならせめて、ありがとうって言おう。何か感謝の気持ちを示そう。サービスを受けて当然、というスタンスじゃなくて。そういう一言が労働者のやりがいになりうるんだったら、無言よりはいいでしょう。綺麗ごとかもしれないけど、仕事で疲れてるときにお客さんにありがとうって言われるのは、意外に嬉しいものなのだ。日本に帰ったらそういうとこ大事にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、エジプトで世界を感じ、自分の価値観やスタンス、生き方を見直す作業もあと3週間。

 

 

 

 

 

 ここで得たものを、次の1か月のインドでどのぐらい昇華できるだろう。もしかしたら、そんな価値観すらも裏切るバカみたいなことばっかり起こるんだろうか。

 

 

 

 

 

 今はもう当たり前になってきた第2のホームタウン、カイロ。しかし感覚を研ぎ澄まして見渡せば、新しい価値観や経験を得られる瞬間はその辺にゴロゴロ転がってる。

 

 

 

 

 

  大食い選手権にでも出てる気分でどんどん摂取して、より精神的に豊かな人間になっていきたいなぁと思う。ぼちぼち。

 

 

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 そういえば砂漠2回目行ってきた。今回は天気も良くて寒くないしなかなか良かったなぁ

 

 

 

 

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とまぁ、今回はこんな感じです