エジプト住み込み記

エジプトに やってきた

出国に寄せて

 

 

 

   エジプトから出国した。

 

 

 

 

 

 

 

 実感はないが、赤いパスポートを開くと確かに、必要量以上の黒インクで出国スタンプが押され、おかげで隣のページにまでインクがにじんでいる。4回も更新された怪しげな観光ビザだったが、ほかの客の対応で忙しい出国管理ゲートの職員の目には留まらなかったらしく、自分はゲートを一瞬で通過してしまった。まばゆく光る免税店を通り過ぎ、雑多な人でごった返すボーディングゲートの手前で、静かにその時を待つ。フライトはエミレーツ。ガラス張りの建物の外にどっしりと構えるボーイングのトリプルセブンが頼もしい。

 

 

 

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 ここはどこなんだろう。高校の時の現代文の評論だったかなんだか忘れたけど、「国際線の出国ゲートを通ったここには、税もかけられない、存在が曖昧になる謎の空白がある」みたいな文章を読んだ記憶がある。その時は海外なんて行ったことなかったので、「このおっさんは何を言うとるんや、、、」と思いながら読んでいたけど、今なら何となくわかる気がする。ここはエジプトなのか、はたまた別のどこかなのか。エジプトの地図の中にある、エジプトではない不思議な空間で、この10か月に思いをはせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決して、楽な海外渡航ではなかったように思う。言語の問題は勿論あったけど、そんなことより文化が違う、環境が違う。初っ端、日本から送った荷物は空港で足止めされ、検閲云々の理由で3度空港に通い、6000円払った。買い物するたびにうその値段を言われた。道を歩くとヤジを飛ばされ、不幸なことに意味が分かってしまうため、ケンカしないことの方が珍しかった。一緒に働くエジプト人たちは、日本人の自分には想像できない価値観で決断を下すため、しばしば責任感を疑ったし、腹が立った。金はないから、周りの留学生が中華料理屋に行く話を聞きながら、ひたすら毎日現地人と一緒のものを食べた(全然幸せだったけど)。どれだけ精神的に疲れても自分の部屋はないから、10か月ドミトリーで寝続けた。多少何とかなると思った英語は最初、仕事ではまったく歯が立たなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  それでも、何とかするしかなかった。就活を途中で放り出し(報道記者になりたかった)、予定にはなかった延長、しかもこのタイミングで海外渡航を選んだ。自分の選択には自分で責任を取らなければいけない。渡航後は何かにつけて、何度も自身の価値観や考え方を見つめなおし、この先の身の振り方について考えた。だらけてしまう日は、どうやったら自分が自分自身を思うようにコントロールできるか、いろいろと実験をくりかえした。興味深いお客さんに出会ったときは、そこに至るまでの人生の足跡や、これからについてたくさん話を聞いた。偶然ではあったが、ラマダーン明けにイスラム教徒の集団礼拝にも参加し、日々にあふれる習慣から宗教を見つめた。金がないなりに仕事も頑張った。結果手元に20万貯めたし(なかなか苦労した)、PCのタイピングはめちゃくちゃスピードアップした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、この10か月全部の経験が、自分に刻まれている。頭では忘れていても、体に「宿って」いる。口だけではなくて、本気だ。机について勉強はしなかったが(机はなかった)、見て聞いて話して食べて、そして自分の足でダウンタウンを毎日歩いた。日本にいたらスマホに吸い込まれていたであろう時間で、徹底的に経験を叩き込んだ。今の自分の身体は、全部エジプトの水と食べ物でできている。これに関しては、一種の誇りですらある。

 

 

 

 

 

 

 

 やりたいことは変わったけど、コアは変わらなかった。自身と周囲を相対化する中で、いろんな価値観を取り入れ、アップデートを図ったが、結局自分は自分のままだ。むしろ、前に比べ確信をもって、「俺は俺だ」と言い切れるようになった気がする。過酷な環境にあってもブレない自分という存在は強い。

 頑固になったわけではなく、柔軟にもなった。ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなったし(多分)、環境に適応する力も高まった。多分だけど、人にも優しくなった(エジプト人は一般的に約束を守らないので)。相変わらず人見知りは人見知りだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 心に刻まれた大事な単発の価値観はいくつもある。「大学を卒業して40年働くという形でなくても人生は進むこと(4年卒業の王道ルートを外れて分かった)」「結局自分のやりたいようにやることが一番幸せなこと(その代わり責任は取る)」「他人の嫌なところを見つけたら自分を見直すこと(ストレスを減らす方法として有効)」「言語はその気になれば留学しなくてもできるようになること(留学して気付いた皮肉。ただ、これは日本に帰って別の言語を勉強する価値があることを意味する)」「知識と言語化は大事であること(今本当にいろんなことを勉強したい)」あたりを、身をもって体感できたことは非常に価値があったように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今からはインドに向かう。日本まで直通のフライトをとるより経由した方が安いし、そこで買える経験も含めたら黒字もいいところだろう。とんでもない荒治療を選んだ22歳の1年だったが、後悔はない。むしろ幸せだ。海外保険も含め全部自分で責任は取るし、取れない範囲のことはやらない。これが自分の得た自由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボーディングゲートがあと20分で開く。向かう先インドで、また自分の世界をぐわんぐわんと揺らすいろいろに巻き込まれるに違いない。そうやって身体に流れるナイルの水に、ゆっくりとガンジス川の水を注ぐ。起こった化学反応を、また一つずつ身体に刻み込み、言葉にする。帰国、そして23歳まで約1か月。きっとまだ、伸びしろはある。 

 

 

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