日々の砂丘

正直に書く

ナイルとガンジスの果てに

 

 

 

 インド滞在も気づけばあと3日となってしまった。マジかい。留学に行った人ってみんなそうなのだろうか、まったく実感がわかない。あと3日で日本。へぇ。どうしても、なんだか他人事になる。まぁしかし、日本の空気を約1年ぶりに吸えると思うと、微妙に感慨深くもある。

 

 

 

 

 

 

 

 ここ1年は砂埃と排気ガスが混ざった空気を吸い続けてきた。湿気は無くて軽いけど、なんだか汚い空気。そういえば、エジプトではそんなことなかったけど、インドでは外から帰って鼻をかむと、鼻の中が黒くなっていることに気付く。どんな空気なんだ。さすが日本の10倍の人口を抱える国なだけはある。人口関係ないか。とりあえず空気が汚い。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、過去最高に気に入って沈没しかけたジャイサルメールを何とか脱出し、ニューデリー、アグラを経て、今は最後の目的地であるバラナシでゆっくりしている。数多のインド人の人生の最終目的地であるこのバラナシを旅の最終目的地にしたのは、我ながらなかなかナイスチョイスではなかろうか。(余談だが、1か月ぶりにまともなホットシャワーに出会って感動した。)

 

 

 

 

 

 

 

 細かいことは順番を前後させて後で書こうと思う。ざっと振り返ると、ジャイサルメールでは砂漠ツアーに参加し、ラクダに乗って砂漠を漂い、星空をぼんやり眺めてきた。前回の記事でも書いたけど、あそこは本当に良い街だった。とにかく天気がいい。ずっと青い空。砂に覆われた街に民芸品が売り出されている様子は、確かにandymoriの言う通り、ドロップキャンディが降っているかのようだった。全旅行者、全バックパッカーに勧めたい。ぜひジャイサルメールに足を運んでくれ。

 

 

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 ニューデリーを経由したどり着いたアグラでは、かの有名なタージマハルを拝んだ。入場料は高いけど、確かにこれは見る価値がある気がする。日の角度によって少しずつ色が変わっていくタージマハルの姿は、ただただ幻想的だった。観光地化されたアグラでは、移動のトゥクトゥクを適正価格で取るのも一苦労だけど、いいドライバー(正しいことを言えばうんうんと分かってくれる素直なドライバー)を引き当てたときの感動もひとしお。こちらも意地で交渉するので移動に時間はかかったけど、なかなか楽しく旅ができた気がする。

 

 

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 そして今は最終目的地バラナシ。ヒンドゥー教の聖地とされ、インド中から多くの巡礼者が訪れるため、電車のチケットを取るのは至難の業だったが、運よくなんとかなった。朝3時に着いて、駅で寝た。何ら危険でもなく、意外に寝れる。地面に新聞をひいて、寝袋に入って、バックパックを枕にして。「俺、旅してる~!!!」って一人でぶち上がっていたけど、やっていることはホームレスと変わらないのであった。(残り4日で金がない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝7時、駅ホームレスを脱して街をトゥクトゥクで駆け抜け、ホテルにでかい荷物をポイ。歩いて10分、目の前にガンジス川が広がる。

 

 

 

 

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 下水もゴミも灰も牛も魚も、そして沐浴する人間も、すべてを受け入れ、飲み込んで流れゆくガンジス川をしばらく眺め、その後近くの小さな火葬場に足を運んだ。岸に運び込まれては燃やされる死体。一見異様な光景も、その場に立ってみると意外なほど冷静に俯瞰することができる。

 

 

 

 

 

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 人が燃やされているのを初めて見た。薪で固定された死体に火が付き、オレンジとともに、「汚い茶色」とでも言おうか、見たことのない色の炎があがる。体の中のガスの影響でこんな色になるのだろうか。おおよそ2色の炎が、薪と死体を静かに包み込む。熱を帯びた灰が風に乗って、自分の身体に降り注ぐ。そんな中、ただただ、静かに眺める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えてみれば不思議な話だ。自分の周りで死んだ人は何人もいるのに、最後にこうやって燃えるところは見たことがなかった。最後の別れを告げ、ボタンで無慈悲に火葬場の扉が閉まって、次に会うときは骨だけになっている。そこに連続性が無くて、おじいちゃんの時も実感がわかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地元の高校に通っていたとき、自転車で通るルートに毎日、亡くなった人の名前が書かれた看板が出ていた。近くに葬祭場があったからなのだが、まぁ他人事だ。何も見えない。人の名前が目の前にあって。あ、そう、死んだの。3秒で忘れて、学校に向かう。そこに死は感じられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、目の前で少しずつ、誰かの死体が燃えていく。布が焼け、外側から少しずつ崩れ落ち、そして灰になり、跡形もなく消える。全く知らないインド人の死。そんな他人事なのに、静かに迫ってくる。

 いや、他人事ではない。「死」は、他人事じゃないんだ。だから静かに、しかし確実に迫ってくる。実感が少しずつ高まる。自分もいつかはこうなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザマ―レクで感じた死とは質の違うリアルな実感。10-Feetの2%が頭の中に流れてきてちょっと驚く。『いつかいつかは皆還る。貧乏も裕福も皆還る』。カーストに関わらず、みんな燃えて、残った灰がガンジス川に流れていく。世の真理を目の当たりにする。こうやって、死んでいく。

 

 

 

 

ザマ―レク雑感 - 日々の砂丘

 

(これが、ザマレクで少し感じた死)

 

 

 

 

 

 

 だから何だというわけではない。すべて分かったつもりもない。自分は死んだこともない。実感がある「気がする」だけかもしれない。きっと数日後には日本に帰って、友達と会っていつもの自分に戻って、ガンジス川で人が燃えていたことなんて忘れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 けど、今はいつもと違う。自分は今、生きている。目の前で、人が燃えていく。死と生が、自分の中で渦巻く。この1年の出来事が、ちょっとずつ、論を以って繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然の結論を得る。『死に方=生き方』。1年通して宗教を見てきて、そして今、より深いレベルで理解する。「断食、礼拝、豚を食べない、酒を飲まない」。個々の事象に目を奪われてきたが、エジプトで見たあれは全部生き方であり、最終的な彼らの、イスラム教徒の死に方だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てを振り返る。この1年、エジプト人、インド人、いろいろな人生の1ページに参加し、その生き方を目の当たりにしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 前述の通り、イスラム教徒にはイスラム教徒の生き方があり、その生き方に応じて死に方、その先の行く末がある。彼らは、(失礼だがほかの人から見れば本質的には意味のない)礼拝をメッカに向かって1日5回繰り返し、年に1度断食をし、豚と酒を断ち、その他諸々宗教的に正しいとされる事柄を守り、禁忌を慎む。それを以って正しい生き方とし、死に備えている。死後は死体を焼かない。最後の審判を受けるべく肉体を残し、土葬を行う。

 

 

 

 

 仏教徒は、八正道と瞑想を通じて無我の境地(つまり、俺の俺の、という欲を無くす)へと至り、他人に尽くす生涯を送る。自己への執着が無いので、死ぬのも怖くない。これが彼らの死に方。

 

 

 

 

 

 

 目の前で焼かれるヒンドゥー教徒。彼らもまた、このガンジスにやってきてこれまでの罪を洗い流し、巨大で荘厳な川に流される終わりを見据え、日々を穏やかに生きている。

 

 

 

 

 

 

 どの宗教もきっと同じ、生き方を以って、死に方と成す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分はどうか。確固たる宗教観を持たない自分。どうやって生き、どうやって死ぬのか。ここで、エジプトで得た経験、そして瞑想で得た生き方が輝く。

 

 

   「自分の信じる道を、懸命に正しく生きること」。

 

 

    今を一生懸命生きた、その先にある自分の死。振り返った時に、「よくやったし、もう死ねるな」こう思えることが、きっと一番の幸せであり、人生の最後を迎えるうえで相応しい姿なのだろう。名言集とかに書いとるやん、みたいな話。しかし、どこまでも真っ当。

 

 

 

 

 

 

 

 10日前に人生を振り返って得た答えは、わりに正しかったのかもしれない。ナイル川ガンジス川の水を混ぜた結果、浮かんできた筋の通った指針。当たり前な結論に、22年かかってたどり着く。今までの何十倍も、重みと説得力のある生き方。時に忘れることもあるかもしれないが、この指針が、今後の自分の人生を導き、最終的にいい死に方をさせてくれる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 インド、あと3日。ナイル川で見た生き方、ガンジス川で見た死に方。それらが今、少しずつ、繋がりつつある。自分はどうやって生き、どうやって死ぬのか。突き付けられた問いは限りなく重い。でも今は、それに対する答えを持っている。お金より、アラビア語力より、もっと価値のある何かを掴んで、もうすぐ、日本に帰る。勿論、フライトを逃さなければ、の話だが。

 

 

 

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