日々の砂丘

正直に書く

23になりました

 

 

  11月23日のブログ閲覧数が普段の4倍ぐらいになっているのを見て「あ、何も書かなかったのは失敗だったかな」と少し後悔した。誕生日という節目に多分こいつは何か書くだろう、と貴重な時間をページ訪問に使っていただいた方には申し訳ないが、その日はただただ梅田をぶらぶらしていた。来年使う手帳を選んで、1年半ぶりに焼き肉に行った。ひねくれものなので、ケーキの代わりに400円するプリンを食べた。大阪には誘惑が多い。

 

 

 

 

 

 

  思えば、なかなか強烈な1年だった。就活を投げて、エジプトに飛んだ。向こうの面白さも不合理も全部受け止めて、何とかした。10か月かけて貯めた20万を握り締め、無法地帯インドを駆け抜けて帰ってきた。その過程で、何度も自身を顧みて、人生観や価値観を増設した。今後のターニングポイントになりうる、いい1年だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

  そういえば、誕生日の2日前に久々にヒッチハイクをした。単純に小倉(福岡)で大阪に向かう夜行バスを逃したのだが、3連休前で代わりのバスはソールドアウト、その時の所持金では新幹線にも乗れなかった。とりあえずカラオケに泊まって、次の日に小倉駅のベンチで策を練った。1回生と2回生の時に経験はあったので、トライしようという決意自体はすぐに固まった。

 

 

 

 

  下道でヒッチハイクをするのは難易度が高い。車を捕まえること自体はできるが、高速に乗るとなると話は別だ。平日で仕事の人がほとんどであることが予想された。浮浪者を車に乗せるほど、心に余裕がないのは皆一緒だ。

 

 

 

 

 

  下関のパーキングエリアに歩いて入れることは、1回生の時に初めてヒッチハイクをした際に確認済みだった。これなら、車さえ捕まえれば自動的に高速だ。とりあえず下関まで電車で移動して、歩いて山を登って、フェンスを乗り越えて、今は使われていなさそうな従業員用の入り口からパーキングに入った。

 

 

 

 

 

  じっと車を観察する。自身の経験からヒッチハイクのポイントをいくつかまとめておくと

 

 

 

 

  • 必ずこちらから話しかける(画用紙とか受け身は絶対×)

テレビで画用紙を持って掲げている人がいるが、あれは車を止めるまでにめちゃくちゃ時間がかかる手法。自分でバイクに乗り始めて分かったが、例えば時速60キロで走っていたとして、あの小さな画用紙に書いてる文字はまず読めない。走っている最中の、「認識(ヒッチハイカーだ)→判断(乗せよう)→行動(ブレーキ・車を止める)」までのハードルがあまりにも高すぎる。あれで止まってくれるのはヒッチハイクを以前やったことがある人や、よほど眠くて助手席に話し相手が欲しい人ぐらいだ。

 

一方、パーキングで乗せてくれそうな人に直接交渉すると、5人に1人は基本的にいける。最初はびっくりされるが、ちょっと面白おかしく事情を説明して、大学生です、の一言で大体皆受け入れてくれる(もちろん受け入れてくれそうな人を選ぶ)。また、こちらが事前にドライバーを選んでいるので、危険な目に遭うリスクも減らせる(人は見た目では判断できないが、少なくとも明らかなヤクザとかは避けれる)。大阪⇔名古屋の際にこの手法に切り替えてからは、相当テンポよくヒッチハイクが進むようになった。

 

 

 

 

 

  • 車の状態をあらかじめ把握しておく(何ナンバーか・大きさ・同伴者の有無)

向かう先は、車のナンバーでおおよそ把握できる。犬が一緒に乗っている車は、乗せてくれることが多い(心理的ハードルが低いのか?)。同伴者が多いと、合意を取るのが難しくなる傾向がある。男一人が一番乗せてくれる。車が小さいと、スペースを理由に断られるケースが多い。

 

 

 

 

  • 旅をしているっぽい恰好をする

今回はたまたまバックパックにマウンテンパーカーだったので良かった。とにかく「こいつは危険な人間ではなさそうだ」と向こうが思ってくれるように尽力する。人相が悪いので苦労する。。。

 

 

 

 

 

  高速にさえ乗ってしまえば、根性+上記3つの徹底で案外移動できてしまう。ヒッチハイクは運だとか親には言われるけど、自分にはそれなりに論があり、工夫で運を引き寄せているイメージだ。勿論出会いには感謝するけど。

  

 

 

 

 

  さて、じっと観察していると、白の大きな車がパーキングに入ってきた。岐阜ナンバーで、降りてきたドライバーは50代後半~60代前半の、犬を連れた男性。50代の人は自分の親と年が被る。つまり、この人に子どもがいれば、自分と年が近い可能性も高い。このパターンもよく乗せてくれる。これはいけるかもと思いじっと見つめていると、犬からこちらにやってきた。犬をなでさせてもらい、何気なく交渉開始する。「いいよ乗って」。神は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

  乗っている間に、この1年の威力を実感した。話が尽きない。相手のドライバーが聴き上手なのもあったけど、山口、広島、岡山・・・エジプトとインドの話でずっとその場を保てた。向こうが元人材派遣会社の方だったので、海外の事情にも詳しかった。以前ヒッチハイクをしたときは、話がすぐ尽きるために、短めにSAやPAで降ろしてもらって車を替えていたのだが、今回はドライバーさんの好意もあって、下関から高槻までノンストップで連れて行っていただいた。ただただ感謝しかない。

 

 

 

 

 

 

  日本に帰って以降、身体を流れるナイルとガンジスの水は日に日に薄くなっていく。最初は怖かったけど、もう今は受け入れ態勢だ。経験は覚えたものではなく刻んだものなので、こうやって必要な時にちゃんと出てくる。

 

 

 

  一方、せっかく覚えたアラビア語の単語がどんどん消失しているのが寂しい。牙は研いでおかないと、つかめるチャンスもつかめない。これに関しては、常々自戒して落とさぬように磨いていこうと思う。

 

  

 

 

  さて、23歳になった今、何か今年の目標を一つでもたてようかと思ったが、これは本質的には意味がない。去年も何か決めた気はするが、なんせ今全く覚えていないし、日々意識することもない。目標は、それに向かって努力する側面にこそ価値があるので、立ててさよならチャンチャンではこれまでの自分から何も成長がない。

 

 

 

 

 

 

  とりあえず、このブログで1年間、日々起こった事に関して自分の考えを整理したり、疑問を呈したりすることを続けていこうと思う。毎日どこかに起こっているはずの変化に気付けるようになりたい。

 

 

 

 

 

 ちなみに今更だが、ブログ名が「日々の砂丘」に変わった。いつまでも「エジプト住み込み記」なのもあんまりなので。

 

  これは単純に、砂漠に行く前日にインド人に「Tomorrow we are going to dune!」と言われ、大学生の身分で恥ずかしながら「Dune」の意味が分からず、調べた結果「砂丘」という言葉に出会ったからだ。

 

  「砂丘」という言葉も、字面で分かれど定義は知らなかったので調べると「風によって砂が自然に堆積してできた丘」みたいなことが書いてあった(気がする)。着想はここで、「生きていて考えが自然に堆積したときに、それを整理する場所」という意味を考えて、このタイトルに落ち着いた。

  

 

 

  いくら名前に気合を入れても書き続けなければ意味がない。前にも書いたように、基本は「今を正しい道で一生懸命に」だ。23歳の人生を生きて、積もったアイデアはここにまとめる。1年後に振り返る。空っぽじゃないことを願うばかりだ。